法要

法要

今日は「施餓鬼会(施食会)」法要でした。
例年なら近隣の寺院住職を招いて盛大に行いますが、今年は、一人で勤めることにしました。
法話も、例年県外から布教師(説教師)をお招きしますが、それも今回は遠慮しました。
最低でも3人以上でお勤めしたい法要ですが、用具等の配置を変えるなどして一人できるように工夫しました。参拝者は例年の3分の1おられたかどうか。でも、分散を意識されたのでしょう、法要の1週間前程から、お参りに来られる方が多かったです。それを合わせても例年の半分以下・・・。
仕方のないことですが。
でも、参拝者が少ないなりに、出来ることもあります。法要修了後にお茶を振る舞えたり、拙いながらも、私から参拝者に法話もできました。

この法要そうですが、今後の状況によっては、12月に行う成道会(お釈迦様が悟りを開かれたことへの報恩感謝の法要)なども一人でお勤めすることになるかもしれません。
でも、考えてみたらお彼岸などは一人でお勤めしています。また、そもそも、宗派に属していても、それぞれは一個の独立した寺として存在しています。教えをひろめるために、それぞれが、創意工夫をしながら、地域や信徒さんの拠り所になれるように努めるものなので、本来あるべき姿だと言えるのかもしれません。もちろん、歴史に刻まれるような大法要など、寺院を招いて盛大に行った方がよいものもあるでしょうが。

早朝に電話が鳴りました。葬儀社からです。寺の役員をされていた方の訃報でした。大変お世話になった方です。奇しくも今日は先の法要の日。法要修了後に自宅にお伺いし枕経のお勤めをしました。後生が善処に生じておられることを願うばかりです。お勤めの後は、翻って寺に戻り初盆と位牌を作られたそうなので、その開眼供養をお勤めしました。

「明日からまた幼稚園だ」とモードを切り替えるため、スケジュールを確認したら、明日は山の日・・・。月曜の祝祭日って、何故か見落としがちです。