本園の取り組み

保育方針

明星幼稚園は、お釈迦さまの教えに基づき、「みんななかよく」「みんな幸せ」を目指しています。園児も保護者も教師も、それぞれが楽しめる環境を大切にしています。理想を掲げつつ、みんながより楽しく過ごせる幼稚園を作ってまいります。

明星幼稚園は、お寺の幼稚園です。

お釈迦さまは2500年以上も前に、誰もが学んで実践しさえすれば、悩みや苦しみから解放されて「みんななかよく」「みんな幸せ」になれる方法をお示しになった唯一のお方です。

ですからそもそも仏教(お釈迦さまの教え)は「神(または教祖)の言うとおりにしたら救われる」とか「教えを信じない者や、神や教祖を冒涜する者は許さない」というような宗教とは全く正反対の、自分で幸福な人生を切り開くための前向きで明るくクールな教えなのです。

でも私たちは「そんなこと出来っこない」「そんなのきれい事」「私には無理」と、だれもお釈迦さまの教えを実践しようともしないで、2500年経った今でも「幸せになれない」と不平不満ばかり言っています。

お釈迦さまの教えを100%実践するのはとても難しいことなのかもしれません。 でも、少しでも教えを学ぼうとするなら、教えに沿えるように努力しようとするなら、誰でも人生よい方向に進めるはずなのです。

明星幼稚園では、園児も、お父さんもお母さんも、教師も、みんなそれぞれの立場でそれぞれに想いをもって楽しく活動に取り組める幼稚園、言い換えれば、一部の人だけがよい思いをするような、逆に一部の人だけが辛い思いをするようなことのない幼稚園を目指しています。

それはお釈迦さまの教えにも沿うことだと考えています。

例えば、人として生きていく上で必要なことを学ばせてもらえないで、内容に無理のある練習ばかりさせられる、言われた通りにさせられる子ども達。

子ども達と関わるのが仕事なのに、直接的に関係のない仕事や雑用を、ときには家にまで持ち帰ってまでさせられ公私ともにゆとりの持てない教師。

子どもが心配でも、園では時間に追われ行事に追われていて気軽に見学をさせてもらえないお母さん。

そのような保育であったら、みんな幸せになれるでしょうか?

それよりも、子ども達はいつもリラックスして、その場その場、その時々を楽しく意欲的に活動できる、教師達は、気持ちにゆとりを持って子ども達と関わり、よりよい保育を追究し実践する。 保護者にあっては、毎日園の様子は見られないけれど、家庭で幼稚園での活動を再現したり、その日の楽しかった出来事を語ってくれたりして、お子さんの園での生活ぶりを感じ取ったり、そして、気兼ねすることもなく園に足を運べてお子さんの成長ぶりを見てもらえたりする保育のあり方を求めていけば、誰も困らないし、無理もありません。
それぞれの立場で楽しさを見いだしながら充実した日々を過ごせるはずなのです。

明星幼稚園は「きれい事だ」「出来っこない」と考えないで、少しでも、みんなが楽しくなれる保育、行事、保護者活動を目指しています。

充実した日常保育活動方針

子どもの真の育ちである「日常保育」の充実

明星幼稚園では、子ども達の日々の生活、つまり「日常保育」に重点を置いています。なぜなら、普段の活動で積み重ねていくさまざまな経験を基礎にして子どもは新たなことに挑戦をする、挑戦した経験を基礎にしてまた新たな挑戦をする、その繰り返しで成長していくからです。 つまり日常保育での経験が多ければ多いほど、挑戦意欲も深まり、子どもの可能性がより広くなるのです。赤ちゃんは、初めは何も出来ずにただ寝転がっているばかりですが、日々もがきながらも五感を駆使してあきらめることなく地道に、意欲的に体を動かし、工夫しながら成功や失敗の経験を積み重ねて寝返りすることを覚え、ハイハイをし、ついには立ち上がろうとします。

誰かが頼んだことでも、命令したことでもありません。ましてや子ども自身が立つという目標も設定していないし、立つ意味さえも分かっていないはずなのです。 ただ「生きる」ことに取り組んでいるだけです。つまり、もともと誰しもが生きるために意欲的に取り組む姿勢をもっていると言えます。

このような子ども達に対して、日常保育でいかに多くの経験や体験をしてもらう機会を提供できるか、またそれらを意欲的に喜んで取り組めるよう工夫することこそが、子どもの可能性を引き出すことであり、それが幼稚園の努めであると考えています。

どんな子でも喜んで取り組める活動

「楽しいから好き!」「 とっても面白かった!」「 またやってみたい!」「 もっと出来るようになりたい!」

終える度に安堵してしまうような行事や保育内容なら、これらの言葉は子ども達から自然に発せられるでしょうか?

子ども達が、自らが心から楽しいと感じて取り組んでいるのなら、例えば、得意でないことや、うまくいかないこと、負けて悔しい思いをすることがあっても、あきらめずにすぐに立ち上がって挑戦しようとする強い心も芽生えます。明星幼稚園ではそのための保育を目指しています。

「どんなこと」にも目を向ける どんな子にも機会は平等に

例えば行事などで「リズム感があるから」「しっかりしているから」「大きいから」「おとなしいから」「途中入園だから」とか「男(女)の子だからこの役」「在園年数が長いから」「体や知的に問題があるから」などなど、それらのデータを元に子どもの役割を決める。それを「個々に対応したきめ細かな保育だ」と言う人もいますし、そのように評価する人もいます。

でも本当にそうなのでしょうか?

明星幼稚園ではむしろそれでは一人ひとりを見つめた保育とは言えないという立場です。
特に大人は周りと比較して、子どもが「できないこと」を意識するあまり、多かれ少なかれ、それを批判したり、出来るようにするための練習を強いたり、逆に過保護、過干渉になってさせなかったりしがちです。

でもそれは今を生きたい、楽しみたいと行動しようとする子どもの意欲を認めないことです。

言い換えれば「私の子だから」「私は親だから」とか「私のクラスの子だから」と上から目線でさせたり、させなかったりすることです。これは、幼稚園では平等な機会を奪ってしまう大きな原因の一つにもなってしまいます。

子どもたちが(わがままとは違う)自分の意志でやってみたいという想いを持っていても、結局は保育者の判断や園行事の都合で「上手、下手」「出来る、出来ない」と能力によって子ども達を選別してさせてもらえないとか、性別や在園年数など、本人にはどうしようもない理由で鼻からさせてもらえないなんて悲しいですね。そのような保育は是が非でも避ける努力をすべきだと考えています。

何かを「面白い」「楽しい」と感じて「やってみたい!」という想いは、そのことが得意であってもなくても、またどんな子であっても同じですし、そもそも同じ幼稚園に通っている子ども達なのですから、その経験をする機会も平等でなくてはならないのは当然でしょう。

子ども達の活動に「練習」がない

明星幼稚園の活動には「練習」という言葉がありません。なぜなら、練習は「させられている」という受け身姿勢になりがちだからです。

子ども達自身が、興味を持って「やりたいと」いう意志があるなら「練習」も意味や必要性があるでしょうが、そうでない場合、活動に興味や楽しさが湧いてくるでしょうか?

小さなころ「練習しなさい!」「頑張りなさい!」と大人から一方的に言われて、習い事への意欲を失った経験がある方もたくさんおられるはずです。それと同じです。

大人は「指示したとおりに行動できるようにすること」が指導者の務めだと思いがちです。でも言い換えれば「思い通りに行動をさせたい」という大人の都合であって、それが「練習させなければ子どもには身につかない」という理屈につながります。

しかしそれでは、できるようになっても「指示されなければ行動できない」という側面を生み出しかねません。子ども達は意欲的に喜んで取り組める活動なら、またそのように工夫された活動を提供するなら、自分で判断してどんどん行動し身につけてくれるものです。

練習をさせなくても、いちいち指示しなくても自分で判断し行動できるような指導を明星幼稚園では心掛けています。

行事はあくまでも日常保育の通過点

実際に(または結果的に)、子ども達を追い立てて無理なことをさせたり、その時期にしか経験出来ないことを素通りして行事や保育をしていては、子ども達のためとは言い難いでしょう。

また、子ども達に無理ではないことであっても、誰かに「見せるため」を目的とした行事ならどうなってしまうでしょうか?見せようとすればするほど周りの評価ばかりを気にして、体裁や見栄えなどばかりに目が向いて、子ども達の本当の育ちや思いを見失ってしまうでしょう。

こういった保育者の都合や、見栄え重視で行事をするのではなく、子ども達が無理なく、それぞれが存分に経験を駆使して、楽しく取り組んでこそ、子ども達のための行事だと考えています。

子どもにとっては毎日が運動会!

明星幼稚園の子どもたちは「今日も運動会したよ!」と言います。 本番に向けて練習をしているという意識がないからです。なので本番の日は「いつもよりギャラリーの多い運動会」というリラックスした雰囲気さえあります。

また、運動会に限りませんが、明星幼稚園では本番当日が終点ではありません。ですから、運動会以降に行うミニミニ運動会やリレー大会になると体力的にも心的にも更に成長しているので、運動会とは違った盛り上がりを見せてくれます。

つまり、毎日が運動会は、体育遊びばかりしているからではなく、子どもたち自身が行事という枠にとらわれずに意欲的に楽しみながら取り組んでいるからです。 行事に向けて「させられている」ばかりでは、子どもの意欲は十分引き出せないでしょう。

みんなでつくる、みんなが主役の発表会!

明星幼稚園の発表会は、みんなが主役です。もっというと一人ひとりが主役です。ですから10人いれば10通りの表現があります。

なぜなら、あらかじめ決められたセリフや振り付けなどを覚えたり練習したりすることはなく、子ども達がそれぞれに日々の生活で積み重ねた経験を活かし、思い思いに表現するからです。決められたセリフも表現もないから、誰が正しい表現で誰が間違った表現ということもありません。

また、セリフは子ども達が考えます。表現はそれぞれが考えます。そして担任は、ピアノ演奏や小道具配置などで、子ども達が表現を引き出しやすくなるように、また活動しやすいようにサポートをします。

つまり明星幼稚園の発表会は「みんなで一つの作品を作り上げる」というスタイルなのです。ですから、もし同じ作品を毎年行ったとしてもその年々で全く趣の違った作品になるでしょう。あらかじめ決められていることを覚えたり練習したりする作品では得られない醍醐味があります。文字だけではうまく伝えられませんが、お母さん方が経験した発表会とは全く違うはずです。

結果よりも過程を重視する造形活動

大人は、良くも悪くも結果ばかりを重視しがちですが、子ども達は「いま」を生きています。そのため子ども達は「出来上がり(結果)」はあまり意識しないのです。そんな子ども達に、最終的にどうなるかもわからない「結果」ばかりを求めるのはとても危険です。期待した結果が得られなければ最悪でしょう。それに、結果を意識し過ぎれば「失敗したらどうしよう」と不安ばかりが先行したり「失敗するくらいなら最初からしない方がいい」と意欲をなくしたりしかねません。

明星幼稚園では、子ども達が日々経験していく過程、言い換えれば、その結果に至るまでの子ども達の足跡を見つめる努力をしています。例えば、写真の造形遊び(造形月間)は、子ども達で役割分担をし協働で製作します。その過程で巻き起こるさまざまな課題や問題、葛藤、ひらめきや工夫などを、子ども達がどのように解決したり展開したりするのか、そこに目を向けています。出来上がった作品の評価をするのも必要でしょうが、明星幼稚園では出来映えの善し悪しよりも、活動の過程がどうだったかを見つめる方が大事だと考えています。

数多い自由参観

明星幼稚園では、保護者の方に普段着で気楽にお越しいただける自由参観や行事がたくさんあります。
「いろいろな子どもたちの姿を見られて嬉しい」と、お母さん方がおっしゃって下さいます。また、仕事で多忙なお父さんやお母さんからは「参観できるチャンスが増えるから嬉しい」ともおっしゃって下さいます。保育内容を理解してもらうために参観日を設けていますが、子ども達の活動の過程も見ていただきたいという思いもあるので、急遽参観日を設けることもあります。もちろん自由参観なので、例えば母の日参観なども、ご都合によって、どなたかが代理で参観いただくこともできます。
主に以下のような参観日があります。

  • ・母の日参観
  • ・父の日参観
  • ・合同遊び参観
  • ・ミニミニ運動会
  • ・リレー大会
  • ・造形遊び参観
  • ・発表会前の参観
  • ・ミニミニ発表会
  • ・縄跳び大会(年長児のみ)

保護者会について

保護者会はありません

明星幼稚園には、いわゆる保護者会や役員会のようなものはありません。ピラミッド形式の組織活動では、役員のお母さん方だけに負担がかるなど、一部のお母さん方だけの活動になりがちです。また仕事の都合でなかなか参加できないお母さんなどは負い目を感じてしまうこともしばしばです。明星幼稚園では、保護者どうしの交流も、幅広い子育てには必要だと考えますので、気軽に参加できて、一人ひとりの親御さんが出来る範囲内で保護者活動に参加していただけるように、次のような自主参加形式のサークル的組織を作っています。この形式にしてから、「幼稚園に出掛けるのが楽しい!」とおっしゃっていただけるようになりました。

以下の活動は、いずれも参加不参加自由、途中からの参加不参加も自由です。
また、1回のみといった参加も可能です。

エプロンママ

参加希望の方々で、班を作りシフトを組んでいただき、給食の配膳(約1時間)をお願いしています。参加人数にもよりますが、月に1・2度程度の活動です。

SOSクラブ

例えば行事後の片付けや、園外保育時の見守りやトイレ介助など、園児の活動や行事を円滑に進めるために、職員だけでは手が足りない場合に手伝いをお願いしています。