ニワトリ

園長日記

ニワトリ

寺の中庭にいるニワトリを子どもたちが見に来ていました。一番身近なはずの鶏ですが、とても珍しそうに眺めていました。
因みにこのニワトリ、成り行きで3年前程前に卵から孵しました。つがいでいるので卵も産みます。
私が幼少の頃は、各家庭で必需品のようにニワトリを飼っていましたが、近所では殆どというか全く見かけることはなくなりました。今の親御さんの世代でも既にあり得ない光景なのかもしれません。園達なら尚更でしょうね。

今日は珍しく平日に法事を勤めました。施主の母親の三回忌でした。
お勤めを終えお茶を飲みながら話していると、幼稚園の話題になりました。平日だから園児の賑やかな声が聞こえて来るからでしょう。施主さんが一言「子どもの声って心地いいですね」
子どもの声は騒音だと宣う人もいますが、私は施主さんに同意します。
五月蠅いかどうかどうかなんて人それぞれで違います。某所の公園がたった一人の「子どもの声が五月蠅い」というクレームで閉鎖にまで追いやられました。
子どもの声が五月蠅いという人もいれば、そうでない人もいる。むしろ癒やされると喜ぶ人もいる。
ニワトリの鳴き声だって、五月蠅いという人もいれば、懐かしがって喜ぶ人も、癒やされる人もいます。

結局基準なんて意味がないのでしょう。
「○デシベル以下は騒音ではなく×デシベルからは騒音です」なんて決めたところで、そのデシベルで騒音と思うか思わないかは人ぞれぞれ違うし、そのときのシチュエーションなどでも変動します。

所謂「発達障害」などという基準だって同じようなものです。なぜなら、我が子をそう思うか思わないかは、その親によって違うからです。例えば、専門家から「あなたのお子さんは発達障害です」と言われて、ショックを受ける親がいたり、そんなはずはないという親がいたり、納得したりする親がいます。

でもそれも、基準によって判断されただけなのです。
でもその基準は絶対値ではないのです。