本当にしたいこと

本当にしたいこと

大阪のある小学校の校長先生が、教育行政に対して、子どもたち、そして現場の先生達がいかに学びの場を失っているか、混乱しているかを訴えた提言書を読みました。とても共感します。私もこれまで、何度か小学校の先生方に対して話をしたことがありますが、どの先生方の目にも、輝きが失われているように見えたのを思い出しました。そんな先生方に当時は、否定的な感情を覚えましたが、この提言書を読むと、教師だけの問題とは言えない理由がはっきりした気がしました。
本当に子どもたちに必要な学びを求めようとしても「できない」「させてもらえない」、仮に出来たとしても、例えば、異動で中途半端に終わる可能性もあるし、時には異端児扱いされ潰されることさえあります。
提言書には、教師は、振り回されてばかりで、本当にしたいことを見失っている状態であり、モチベーションも持てないほど疲弊していることが切実に述べられていました。

これは、小学校に限らず、幼稚園の保育にも当てはまります。教師の思惑で園児を押さえつけ、教師の言われるままに行動させられる、教師の都合や気分で気になる行動だと判断されれば、障害だの厄介者だとレッテルを貼り、分け隔てようとする。子どもに寄り添い、子どもの成長を後押しするはずの幼児教育が、真逆のことをして成り立っているのが現状です。

教師も子どもも本当にしたいことがさせてもらえない環境で果たして教育と言えるのかどうか。
そもそも、教師(教育界)が疲弊しているのに、どうして子どもたちの健やかな成長が望めるのか。

他人事ではありません。子どものために行っているつもりでも、本線からずれてしまいそうになることも多いのです。如何にそこに気付けるか、如何にずれないようにするかが大事なのでしょう。この提言書はその戒めとなるものでした。