発表会ごっこ

発表会ごっこ

年中が年長と交替して、ホールで発表会ごっこをしていました。
型やセリフの練習ではないので、子供達が考えながら作品作りをします。
だから、一人ひとり表現が変わって当然です。
でも、みんな同じポーズになりがちです。
なので、「みんな同じでつまんないよ!」「もっとカッコいいポーズを考えて!」と声をかけます。すると、面白いポーズが出てくるのですが、しばらくすると、またみんな同じポーズに…。
まだ始まったばかりです。繰り返すうちに、だんだん自分なりの表現が出来るようになってくるでしょう。これからその過程を見守ります。

バチバチの季節がまたやってきました…
静電気のことです。私は静電気がよく出ます。
それが半端ないときもあって、正直自分が嫌になります。ときには湿気の多い梅雨時期でも、バチっとなったり、水面に触れただけもバチっとなったこともあるくらい帯電するのです。
いつだったか、誕生日か何かを元にして、占い?のようなものを知人がしてくれました。その時、私は「雷竜」だと言われました。だからなのでしょうか…。
あながち迷信ではないかもしれません。
アースがされていない電化製品の表面に触れると、ピリピリと感触があります。また、私の身近な電化製品がすぐに壊れることも多いです。

たまたま、テレビを見ていたら、フィギュアスケートの大会をしていました。熱狂的ではありませんが、見るのは好きです。でも、競技として見るのは好きではありません。競技としてのフィギュアは評価がとても曖昧だからです。
そのときの審査員、会場の雰囲気、観客の応援などによって、評価が変化してしまいます。また、技術点や芸術点にもとても違和感があります。要するに評価が普遍的ではないからです。
一世を風靡した「イナバウアー」は、実はとても難易度の高い技なのですが、見た目が地味で技術点が低いので、イナバウワーを取り入れる選手がいなくなりました。
でも、その技に拘る選手が、主流になった回転技を駆使した選手達を押しのけて、オリンピックで金メダルを獲りました。
そのことからも、評価が普遍的ではないのを裏付けています。
なので、大会後のエキシビジョンの方が好きです。審査などなく、選手も観客も心からフィギュアスケートを楽しんでいるように感じるからです。

今日は知人の命日です。自宅へ供養に伺いましたが、家族の方がおられず、お供えだけ玄関に置いて帰りました。
亡くなった知人は、知り合ったばかりなのに、ずっと前から知っていたかのようにすぐに親しくなりましたが、たった2年程で、風のように去っていきました。それから6年、未だに時々話題にあがるほどの人になっています。
今夜はとても美しい満月ですね。きっと知人の計らいなのかもと思いつつ眺めています。

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