交流

園長日記

交流

年長児が近所の小学校の交流会に出かけました。
1年生の児童が、秋をテーマに、おもちゃなどを用意してくれていました。
到着すると、早速卒園生が駆け寄ってきました。卒園生も在園児もとても嬉しそうでした。

荷物を置き、座る場所を案内されると、明星の子達は、普段と同じようにグループ別に座り、そして、なんとみんな正座になったのです。
正座するように促したわけではありません。自然と正座したのです。誕生会の仏参のように。
他の保育園や、1年生はみんな「お山座り(体育座り)」なのに明星は正座です。同行した職員も、不思議そうにしていました。
緊張していたのでしょうか。でも、とても落ち着いていたので、今は正座する場面だと自分たちで判断したのかもしれません。

造形月間中でもあったからでしょう、交流が始まると、小学生の製作物にみんな興味津々だったようで、はじめは遊ぶよりも制作物の構造が気になっていました。

帰りには、小学生から沢山お土産を貰って、大満足の様子でした。

今日は私の○○回の誕生日です。ツレといつもながらの水入らずの夕食。でも私の好物である栗を使ったケーキを用意してくれ、いつもとは少し違いました。
ふと、自分の倍の年齢まで生きているかなぁ・・・と考えました。無理ではありませんが、まぁ、難しいだろうな・・・。
私の母校でもある小学校で小学生や園児をみたことで、そんなことを思ったのでしょうね。そうでなければ、そんなことを考える年になったのかもしれません。

ちょうど、このブログを書いていたら、テレビ番組でクローンの話が流れてきました。人ではなくペットですが・・・。
永遠の命と言いますが、果たしてクローンが永遠の命と言えるのかどうか、失った命と同じと言えるのか・・・。
ペットロスの気持ちは分かります。でも・・・、複雑な気持ちになります。それってエゴなのかな・・・などなど・・・

自分のクローン・・・。自分の細胞からクローンを作る。でもそれはたぶん自分ではない。心までクローンにはならないはずです。だから、ちょっと気持ち悪い気がします・・・。

手塚治虫の漫画、ブラックジャックで、ブラックジャックの師匠的な人から「人の生き死にをどうこうしようなんて、烏滸がましことだと思わんかね」と諭す場面がありますが、それを思い出しました。

とりとめもない話になってしまいました・・・。